お手紙書いた
久しぶりに手紙というものを書きました。
昔から文章というか文をひたすら書くということに楽しみを覚えるタイプだったので久しぶりに手紙を書いたら楽しくて仕方なかった。
止まりどころがわからずに駄文を送りつけてしまった各方面には謝罪したいです。
本当に10年ぶりとかそこらにレターセットなるものを買ったんですけど、世の中にはレターセットってものがたくさんあるし、日々新しいものが増えてるんだなあーと改めて驚きました。
絶対的にスマホの普及とかで手紙を出す人なんて減ってるだろうに、でもこんなに売り場があるのだからいまだちゃんと需要はあるのだろうなあと思いました。
それはそれとしてかわいいものが多すぎて書きもしないのにたくさん書いそうになりました。
(あれ?みんなもしかして買うだけ買って出してなかったりする?)
なみなみになった封筒とか、ハンコで押したみたいな模様の便箋とか、本当に可愛いものがたくさんありますね。
子供とかはお手紙のやりとりをしたりするのかな。
手渡しでも、一生懸命書いた文章が人に読まれて、感想も手紙として渡されて、ドキドキしながら1人の時に読む、というあの楽しみは何物にも変えがたいですよね。
あの気持ちを、味わえる機会がまだ残っていると嬉しいな。
あと、久しぶりに手書きの文章を書いたら小学生のときと字が変わっていて驚きました。
多少は気を使えば綺麗な漢字が書けるようになってるのにも感動しました。
昔から字が汚い子供だったので・・・。
また手紙を書きたいなーと思った今日でした。
相手がいないけどね・・・。
母性
小学生のころ、人の言う反抗期というものが人並みに訪れた。
そのとき、私は学校に行きたくないとかなりゴネていたようにおもう。
学校側に、教師に問題があったことが主な原因だったし、今ではそれはおかしいとわかる教師だったのだが、母に学校で起きた辛い出来事をありのままに報告する勇気もなかった。
また、説明するだけの根拠を示すことができないと信じてもらえないと子供心に思っていたのかもしれない。
そんなこといってはいけない、バカなこと言ってないで学校に行きなさい。
そんなことを言われるのが怖かったのだと思う。
現にそういう風に子供を送り出す親は多いだろうし、私の親も私を軽く窘めただろう。
それから私は学校で起きた事柄を口に出せなくなり、学校に行きたくない理由を告げられないまま、毎朝行きたくないと騒いでいた。
理解されたいという甘えと、学校に行かなくても肯定してもらえることを望んでいたのだろう。
しかし親も人間なのだから、優しく聞いても強く叱りつけてもいうことを聞かなければ途方にくれるしかない。
そんなことは当時の私にはわからないし、かといって突き放すように放置した方がいいということも、その場ではわからない。
それにその対処法は子供によって、親によって、やり方によっては決定的な溝を生むだろうから、推奨もできないけれど。
そんな感じでずっと対立していた私と母だったが、もともと手塩にかけて育てられていた私だったので、母が途方にくれて父や姉に泣き言を言っているのを、相談しているのを聞いてから、自分を責めるようになった。
勿論、初めは母に向き合って欲しかった、理解してほしいというのが反抗期のきっかけだったので、告げ口している、もしくはなぜ私以外の人間に尋ねるの、と笑ってしまう腹の立て方をしていたけれど、だんだんと、これは私のせいなのだと思うようになった。
何故こうなってしまったのか、何故正しくできないのか、何故母を苦しめてしまうのか、けれどみんなと同じようにはできないし、嫌なことを耐え忍ぶだけの強さも私にはなかった。
中学生に上がる前、私は自分の腕を切った。
誰にも言えなかった、勿論母にも絶対に今でも言えないけれど、あれは私が私を罰するためにつけた傷だった。
母の望むような子供になれない、人として正しくできない、姉に軽蔑され父にも見放される自分に対する罰。
逃げているだけと言えばそれまでだし、自分と向き合う覚悟のない子供のしたことだ。
けれど私は確かにあの時の傷に救われた。
腕にある傷は今も治らない。
見る人は顔をしかめる。
けれどこれがなければ私は死んでいたか、あの日のままだったように思う。
だから私はこの傷を悩ましく思うことはあっても、消そうとか、後悔したことはない。
母が悲しむから言えないけれど。
だんだんと心の整理ができ、気のおける友人ができ、周りのクラスメイトも先生も、きちんとした関係を築けるようになった頃、私は惰性から学校に行きたくないことはあれど、嫌なことは嫌だと言えるようになっていたし、放っておけば自分でなんとかすると母も気づいたのか、前よりも穏やかな関係になった。
学校、という所に拘束されるのが嫌なほど私は家を好きで、家族に甘えていたのだろう。
それが過度な不登校のきっかけだったのかもしれない。
誰だって、暖かい布団から出て、人に詰られ他人と競争しなければならない場には出たくないだろう。
それをきちんと耐え、我慢できることが今の日本に求められるまともな人間なのだということも、学校というところはそれを作るべき場なのだともわかるが、今でも私はそれが本当に正しいかどうかわからないし、自分の子供に強制できるかもわからない。
けれど私が真っ当でないことは今も自覚あることではある。
そして大人になった今、私は必要以上に母に愛情を注ぐようになったように思う。
母の立場が、自分となんら変わらない、特別母という人間として生きてきたわけではないと理解できるからというのもあるが、あの日の私に、きちんと自分は愛されていたのだと分かってほしいからか、そう思いたいからか。
湊かなえさんの母性という本を読んで、愛情とは、母とは何かを考えた。
はっきりしない社会人
ほんとイライラする。働くの辞めちまえ!
仮にも客商売してんだから電話くらいキビキビしろ!
いつもできることを頼んでいるんだからお前の判断でできませんとか言ってんじゃねえよ!
客の要望だろうが通せよ。
しかも客からじゃなくてスタッフからかけてんだから!
別にどうしたらいいかきいてるんじゃなくてやれって言ってんの!
できないならなんでできないか、
今忙しいからできないとか言えよ!
それお客さんに言えんのかっつーはなしだけど。
お客さん待ってるって言ってんのに平気で時間かかるとかいうし、折り返しの電話はこないし。
こっちから電話したら取らないし待たせた挙句数秒離れただけで電話切れるし。
なんなの?スタッフに気を使わないのはともかく、その向こうにいるのはお客さんだってわかんないのかな??
仕事辞めたらどうかな??
お客さんが絡むことでちょっと待ってくださいしばらく時間かかるってのはありえない!すぐやれよ!!
しかも仮にも電話取る機会がある仕事なら名乗り・お疲れ様です・失礼しますは最低でもやれや。
時間かかるなら何分後に、自分の名前と相手の名前確認しろよ。
妙な間を持たせるな。そのせいで時間かかるんだろ。
わかんないなら黙るな聞け!!!
はーいらつくわ
海うそ
梨木香歩さんの海うそをよみました。
静かな文体で学者の目を通して海の近い土地の厳粛な山の景色を眺め、感じ入るいい小説だった。
鬱蒼とした森に生きている植物や虫、差し込む光や川の音を文章で味わう至極。
痛ましいけど読後感は爽やかでした。
島に起きたこと、失ったもの、島の美しさ、それらを秋野さんが知っていることで、島の開拓で全て無くなってしまったわけではないことがわかるからでしょうか。
50年という月日の持つ絶対的な力を目に見えて見せつけられる残酷さもまた、かつての姿を思い起こすための必要な描写かと思います。
惜しいところは知識、専門分野の説明が先に立って物語性が薄く感じるところでしょうか。
雪の中のカモシカ、雪の中で死んだ許嫁を重ねて悼み、その心情を慮ろうとする描写は切なくも美しい。
賛否と好みは分かれるかと思いますがオススメの本です。
あとわたしは昔読んだ絵本、おこりんぼのやまを思い出しました。
タメ口
年下とわかると、急にみんな馴れ馴れしくなる。
タメ口で話してくる。
なめた態度を取ってくる。
なんなのだろうか。
いくら年下だといえ、職場の人間に、なんでタメ口なんだろうか。
別に敬語で支障があるわけでもないし、タメ口きかれるのを不愉快に思う人間もいることがわからないのだろうか。
いままで遠慮がちだったところを、一気に年下だとわかると遠慮がなくなる。
すごくイライラする。
わたしの器量が狭いだけか。
あってきたひとみんなそうだから、本当に辟易する。
読んだもの
連投>_<
昨日読んだ漫画の備忘録!
昨日は、ずっと気になってた
・花と悪魔
・黒伯爵は星を愛でる
・小桃コンフィズリー
・世界で1番悪い魔女
・ゴーストアンドレディ
全巻よんだ!
どれもあたりで面白かった>_<
少女漫画は定期的に読みたくなるよね・・・。
特に黒伯爵と世界〜は今後がきになる!
世界〜は買おうかな〜とおもってる!
ゴーストアンドレディは、前々から気になってた。
絵が超好み〜とおもってたけど読んでなくて、ついに読んでみたら
えっ?!すごく面白い・・・とおもった。
グレイにひたむきな目を向けるフローがね・・・すっごいかわいい!
あと学芸員さんかわいい。
お客さんにはクールなのに・・・笑
うしおととらの人なんだ〜
っていうのはいま調べ直して知りました。
特に知らなければ似てるって印象もないかなあ。
グレイイケメン。かわいい。サムシングフォー。
浴びるほど漫画を読みました。